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by iak-takeshi

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舞糸高速車両研究所の真宮大和(まみやひろかず)です。

前回のお話からかなり立ちましたが、当社の親会社「舞糸高速鉄道」がふたつの速達列車の運用開始を初めてこちらも数ヶ月を経ております。当面は車両の増減に変化は考えられないとは思うんですが、当社が開発している車両、ガインエクスプローラーが気づいたらオールラウンドな車両運用になっていました。といっても車種番号で使い分けはしています。GEX200がG(グレイト)快速、GEX100がS(スタンダード)快速、GEX ZEROが各駅停車の運用ですが、そのうち増強されることになりました。いまGEX ZEROは2両編成になっているんですが、これにGEX300を組ませる運用です。ということで、
GEX200もGEX100も4両編成、GEX ZEROも300と組んで4両編成で揃います。その増強が終わったあと舞糸高速鉄道創業当初から運用についている5000系が当親社の戦線離脱をすることになります。森田鉄道の車両数と資金面が厳しいということですので、そちらで第二の人生を歩むかもしれません。でも確か森田鉄道と酉武貨物はグループだったはずなのに…。

それと今日はウチよりノッている聡美川鉄道車両研究所ですが、各地に自分ところの車両を供給するという契約を次々とっております。LRTですよ。これからの主流ですしね。昔ここが「すろーた」という今開発製造している「すろーた2」とは似つかない風貌のマッチ箱を並べたような車両を作っていましたが、これがまー故障続きで、少し走らせてしばらく見ていないというのか、僕は前回もお話しした方に最近招待を受けて乗せてもらったんですが、圧巻です。これが「すろーた」で圧巻なのですから各地から契約をバンバン取らせている「すろーた2」は一体どんなんだよって感じです。ウチも世界に出たいなぁ。あ、あともうひとつ、夢峠鉄道車両さんなんかも世界進出ですよ。会社自体車両製造でそんなに歴史ないって言うのか出来たばかりなのに。

車両研究所って言い方ですが、当社がガインエクスプローラーを開発して製造することになった当時、なにか未来に突き進むといった気風を感じる名前がいいなぁと考えました。ほら、舞糸車両じゃ響きがねえ…。それで車両製造に勤しむ研究所にしてみました。それとガインエクスプローラーのエクスプローラーは「探検家、探究者」の意味で、そうありたいと願って名前をつけました。ただエクスプレスという候補もあったんですが、響き勝負でエクスプローラーにしました。車両研究所という名前はどうも流行っているみたいでウチのライバルでもあり友人でもある聡美川鉄道車両研究所もウチが出来たあとに聡美川鉄道の車両製造部門から独立して作ったとか。
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by iak-takeshi | 2011-06-19 21:03 | 舞糸高速車両研究所のひとりごと
今日よりこちらの方で番組を持たせていただけることになりました舞糸高速車両研究所の真宮大和(まみやひろかず)です。以後おみしりおきを。

さて舞糸高速鉄道ができる前というのは舞糸市すらなく、竹子島というのは常にトップダウンの行政が行われていたとききます。今の舞糸市は芸術都市宣言を行ってからかれこれ40年になるようですね。この提案は当時の市長が行ったようですが、それに比べて当舞糸高速車両研究所は10年も経っておりません。当社の親会社に当たります舞糸高速鉄道が舞糸高速アクセスネットワーク、通称MHSAN(えむえいちさん)を発表しましたね。で、その大親会社である舞糸渡船が昔「舞糸オーシャンエクスプレス」を計画して大豆島との交通と交流が始まりました。これが同社の設立でもあったわけですが、竹子島においては「革命は舞糸市からやってくる」と言われているぐらい舞糸市では他の竹子島島内の地区で起こらないことが既に参回も起こっております。MHSANもそんな「革命」の一つであったりするわけです。しかし舞糸市は竹子島中央政府に反逆をしているわけではありません。政府がやらないから自分たちでサクサクやっているだけのことです。それをやり続けてついには行政区の各首長にの賛同による拡大までに至っております。

そんな舞糸市に本拠地を構える当社ですが、はじめは舞糸高速鉄道の車両を作る工場すらありませんでした。今月正式に合併吸収をした皆人車両の設備を借りておりました。とはいっても皆人車両はろくに工場を動かしていませんでしたし、旧型の車両を作る設備を完全にとっぱらってからの製造でしたので、実質ただの間借りをしておりました。
設備を動かす人が必要となりましたので、昔皆人車両で働いていた人などを呼び寄せて製造にこぎつけることが出来ました。結構優秀なんですよここの人たち。ただトップダウンの行政に浸かっていた幹部がうまいこと扱えなかっただけで。
昔同社内では派閥があったらしく、うちに来た人と大豆島に渡島した人、本来であればライバルでもある聡美川鉄道車両研究所に行った人など…。そのまま残った人もいたようですから、この工場はかろうじてあったようですがね。

聡美川鉄道車両研究所の方が「新しく路面電車を設計することになったら一緒に食事でも」というのでなぜライバルの人が…と思いました。聞いてみると
「このデザインなんだが君のところの電車を見てきっかけを得たのでお礼がしたい。今後はライバルでもあれば、パートナーとしてもともに歩んでいきたい」というお言葉をいただきました。それと
「この前面は実は貴殿にも使っていただきたい。ロイヤリティー云々は一切抜きだ。」
実に面白い話だ。いいのかい本当に。

あっ、それとお食事おいしゅうございました。
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by iak-takeshi | 2010-11-28 10:38 | 舞糸高速車両研究所のひとりごと